旅の記録は新ブログ「キャンピングカーで愉しむ!車中泊キャンプと旅紀行」に引き継ぎました。(2017年10月~)

戦争の跡が残る島2012/03/27 08:02

見晴らしの良い景色

ここまで、「大久野島」の「陽」の姿ばかりを綴ってまいりましたが、
それとは裏腹に「陰」の姿がある事も忘れてはなりません。

何故、世界で最初に広島に原爆が投下されたのか・・・

それは、この島を歩いているとなんとなくわかってきます。

現在は「うさぎ」達のおかげで
平和の象徴的な存在になっている「大久野島」ですが、
戦時中は化学兵器の生産拠点、そして軍事要塞として機能していました。

フェリーターミナルと「休暇村大久野島」を
往復するだけではなかなか気付きませんが、
その先をさらに進んで島を一周する感じで時計まわりすると、
当時の様子が残されている事に気付きます。

まずは、「休暇村大久野島」のすぐ先にある「三軒屋毒ガス貯蔵庫跡」。
ここには、猛毒で皮膚がただれる毒ガス、
「イペリット」が貯蔵されていたそうです。
三軒屋毒ガス貯蔵庫跡

そして、さらに自転車を進めて「24cm加農(カノン)砲の砲台」へ。
数十年経った今でも、当時の様子が伝わってきそうな感覚に、
思わず鳥肌が立ちました。
24cm加農(カノン)砲の砲台

どんな思いでこの砲台を任されていたのでしょうか・・・

「北部砲台観測所跡」と記された階段を上がっていくと、
階段をのぼる

観測所の真下に、指令所がありました。
指令所

おそらく、非常事態が起きた時には、
ここから砲台に向けて情報が伝達されていたものと思われます。
情報伝達用の小さなトンネル(伝声管)も、そのまま残されていました。

そして、「北部砲台観測所跡」へ。
現在は、見渡しの良い絶景スポットになっています。
観測所から望む景色

それもそのはず。
当時は異常をいち早く知る為の観測スポットだったのですから・・・

ちょっと複雑な気分で「北部砲台観測所跡」を下りると、
「北部砲台跡」がありました。先程の観測所からの司令で、
ここから大砲が放たれるようになっていたようです。
北部砲台跡

さらに進むと、「火薬庫跡」も。
火薬庫跡

万が一、火薬が爆発した時も爆風が抜けるように、
屋根は簡単に作られていたそうです。

最後は、島全体の電力を担っていた「発電場跡」。
ここで発電される電気をもとに毒ガスが作られていたというのですから、
何とも言えない複雑な気持ちです。
発電場跡

悲劇の戦艦、戦艦大和の建造地も大久野島と同じく広島県。
広島は、旧日本軍の中枢的な存在でした。

そんな面影が色濃く残る島、
それが「うさぎ島」、「大久野島」です。

2012/02/19 -うさぎ島でサイクリング-


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